関西の人間が東京に住み、湘南海岸に行くと必ず海が汚いと言う。海岸の砂を見て「こんな海でよく泳いでいる」と言う。瀬戸内海の“白砂青松”の海とは違うのである。 何が違うのか、砂である。海が汚れているのではなく、砂が黒いのである。地元に住んでいる方々には常識であるが、湘南の砂浜には砂鉄が多いのである。 砂鉄の多い海岸は、千葉・茨城から、青森・北海道まで太平洋岸に広く分布している。 鎌倉の稲村ガ崎、この岬を回りこむと鎌倉の市街である 湘南海岸の鎌倉は、幕府が開かれる以前からすでに武士社会の拠点の一つだった。これは、鉄の産地だったことも要因のひとつだろうと言われている。近年鎌倉の砂鉄で、備前長船の刀匠土田範仁氏が短刀を造り、鎌倉の鋼が優秀だったことが知られた。 鎌倉は、刀剣造りの伝統がある。藤井が小学生のころ、夏休みの臨海学校の宿舎が鎌倉の材木座海岸にあり、その宿舎の横が刀鍛冶の仕事場であった。その仕事場で話を聞くと戦争中はそこで、軍刀を大量生産していたのだという。 鎌倉では、鉄と武器と武士の関連は一つの軸でつながっているのだろう。 この黒い砂にどれだけの砂鉄が含まれているのか? 最近、新田義貞が戦ったと言われている稲村ガ崎をフィールドワークする機会があった。以前から気になっていた鎌倉の砂鉄である。フィールドワーカーとして、もう一歩踏み込み、砂鉄はどのくらいの含有量なのだろうかと考えた。そこで、ペットボトルに海岸の砂を入れ持ち帰って調べてみた。 黒い砂に磁石を入れるといくらでも砂鉄が取れる。 持ち帰った海岸の砂は531gであった。この砂に磁石を入れると、砂鉄以外の砂も砂鉄と共に持ち上がってしまうほど含有量が高い。 そこで、理科教材用のあまり強力ではない磁石を使って少しずつ、砂鉄とその他の砂をより分けてみた。山砂鉄の含有量は、1%〜3%ほどと言われている。川を下り、海で揉まれた鎌倉の砂鉄は、含有量が上がっているはずである。(注1) 左が砂鉄、右が分離後のその他の砂。その他の砂も黒い。(注2) 磁石でより分け採取できた砂鉄は221gであった。持ち帰った砂の全量が531gだったので、何と海岸の砂の41%が砂鉄ということになる。 中世文書の中に、相模の内陸から、「鎌倉の砂」(砂鉄ではなく砂)を取り寄せる書状が残されている。鎌倉は都市だったので、人件費が高かったと想像できる。海岸の砂にしめる砂鉄の含有量が高ければ、鎌倉で砂鉄をより分けてから運ぶのではなく、砂ごと送らせ、到着地の安価な労働力を用い、砂鉄とその他の砂をより分けるやりかたが経済的だったのかもしれない。 夏の湘南海岸の黒い砂は、太陽の熱をたっぷり吸収する。とても裸足では歩けない。何と言ってもそこは“焼けた鉄の上”なのだから・・・。 注1)鎌倉の砂鉄の多くは極楽寺川から流れ出たと考えられている。この小川が極楽寺川。 注2)海岸の砂から砂鉄を取り除いても砂は黒っぽい。この黒色の砂は、古銅輝石と呼ばれる鉱石なのかもしれないが未調査である。