昭和天皇のシェルター(防空壕)

昭和天皇のシェルター(防空壕)

千代田区の皇居には、昭和16年に竣工し、20年に強化された昭和天皇のシェルター(防空壕)があった。

この昭和天皇のシェルターの画や図面は、この施設の設計者である
浄法寺朝美元陸軍技術大佐から直接教示いただき、何度かのチェックの後に完成した。

浄法寺大佐は、旧陸軍の築城本部で近代要塞を設計していた技術将校であり、
戦後は防衛大学校教授もしていた方である。
世界最大級の40cm砲を備えた対馬海峡要塞の設計にも、浄法寺大佐は影響を与えている。

この昭和天皇のシェルター(防空壕)について、数年前にある出版社が宮内庁に取材を申し込んだところ、宮内庁からは、その様なものが存在したことが確認できないので、取材は受けられない、との返事だったという。

終戦時ポツダム宣言の受諾を決定した御前会議が、このシェルターで行われている訳であるから、存在し利用されていたことは確かであるが、現状は不明となっているようである。

利用されていた当時、正式には「大本営付属会議室」と呼ばれた。
このシェルターを建造することを決定したのは、当時陸軍大臣であった東条英機である。
昭和天皇のシェルターは、昭和16年の9月に完成し、12月には対英米戦争が開始された。

内部は天皇の居室の「御休所(おやすみところ)」「次室」「会議室」「機械室」「通信室」他に
水洗便所と通路があり、地表までは約25mあったが、丘を利用して造られているので、
自動車道路から水平な位置に床がある。

昭和天皇が通常の住居に利用していた「御文庫」は、このシェルターの西、約100mのところにあり、地下道(画の右方向)でむすばれ、「御文庫」へは地下から螺旋階段で上がるようになっていた。

後に浄法寺元陸軍大佐が構造計算したところ、このシェルターは、広島型原子爆弾の攻撃に
耐えるものだったと浄法寺氏は語っている。

昭和天皇のシェルター

昭和天皇のシェルターは道路から、二箇所の入り口を持っている。内部の、画で右下が「機械室」、その左が天皇の居室である「御休所」「次室」、さらにその左が、「陸軍参謀本部付属会議室」であり、この会議室で昭和20年8月に、ポツダム宣言受諾の御前会議が行われた。会議室の内部は、板壁が光沢塗装仕上げにされ、床は赤色の絨毯敷、入り口のドアには緞帳が下げられた。地下25mであっても、帝国の意思決定空間としての意匠がほどこされている。 (資料提供浄法寺朝美元陸軍大佐・作画/藤井尚夫)

この昭和天皇のシェルターは、部分基礎ではなく、平面全体が基礎となる「べた基礎」を採用している。外壁は1.5m。内部の部屋の仕切りは1mのコンクリート壁であり、昭和天皇が滞在する「御休所」「会議室」は、外側から二重の壁に守られるように設計された。上部には、昭和20年の6月から7月にかけて強化工事がなされた10トン爆弾対策用起爆層が設けられている。この起爆層には、多量の都電レールが用いられた。 (資料提供浄法寺朝美元陸軍大佐・作図/藤井尚夫)

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