天皇の防空壕(参謀本部付属会議室)

地下30m“帝国の心臓部”。ここで聖断が下された。

以下は宮城内の天皇の防空壕について、1993年当時92歳であった設計者、元陸軍築城本部大佐浄法寺朝美氏から、資料を提供いただき、工事工程の御教示、図面・原稿の確認をお願いして纏めた記録である。
御高齢にも拘わらず藤井との面談や、電話に快くご対応いただき多くの情報を
得ることができた。

皇居乾門。天皇の防空壕はこの門を入った奥にあった。

皇居乾門。天皇の防空壕はこの門を入った奥にあった。

大日本帝国陸軍築城本部

日本の旧陸軍は、要塞の設計構築を行う「陸軍築城本部」と呼ばれる組織をもっていた。(注)
この「築城本部」は陸軍大臣に直結した組織であり、「参謀本部」と同格の存在である。

その陸軍築城本部は明治以降、近代日本の軍事機構の中で、近代要塞構築を中心とする築城技術を発展継承してきた。

日清戦争以前には主に、関門海峡要塞や、広島湾要塞、東京湾要塞等の海岸要塞を構築し、仮想敵海軍の進攻を警戒し、次いで日露戦争直前には、新たな要塞構築や、それ以前に造られた要塞の近代化工事を行い、ロシア海軍に備えた。

その後第一次世界大戦と、第二次世界大戦の間は、世界的な一大要塞建設ブームであり、
日本も多くの要塞を構築している。

広島湾要塞の砲座跡。

広島湾要塞の砲座跡。

宮城内防空室

この陸軍築城本部が行った最後の永久築城が、東京の宮城内に作った“天皇の防空壕”(正式名称「防空室」)である。

工事は昭和16年度と、20年度の二度行われた。
この防空室は一切の武装を持たず、航空爆撃に耐える事のみを目的としたものである。
この意味においては、要塞ではない。

しかし、この施設は単なる昭和天皇のプライベ-トな防空壕ではなく、空襲下であっても
陸海軍を掌握し、それを指揮する「最高司令部」として戦略的に機能する事も
その目的としていた。

そのため「参謀本部付属会議室」と呼ばれる部屋を持ち、陸軍築城本部が、設計・施行管理
を行い、以後陸軍が管理した。

事実、昭和20年8月、この「参謀本部付属会議室」で、ポツダム宣言受諾を決定する
御前会議が開かれる。
最高戦争指導機関の司令部として機能したのである。

この御前会議の決定を受けて、大日本帝国は無条件降伏をすることになる。

近衛師団司令部。この兵営が資材置き場と変わった。

近衛師団司令部。この兵営が資材置き場と変わった。

注1)旧軍では要塞構築を「築城」と呼ぶ。この呼称は現在の自衛隊も同様であり、塹壕構築は「臨時築城」と呼ばれる作業となる。


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