天皇の防空壕(参謀本部付属会議室)

昭和天皇と東条英機

真夏に工事は行われていた。
工事現場は昭和天皇が通常居住している吹上御苑の中であり、この頃昭和天皇が居所としても使用していた御文庫のそばである。

そして天皇はたびたび御文庫のプールで水泳をしていた。
このプールが、工事現場に生コンクリートを運ぶ足場から見えた。
工事に携わっていた第一師団の兵達にも、水泳をする昭和天皇の姿が見えていたのだ。
そこで現場の管理者であった松木中佐は工事現場を板塀で囲み、
工事区域を隔離しなければならなかった。

この現場を、東条陸相が視察した。東条陸相は視察のおり、その工事現場を囲んでいる
板塀を見て、板と板との間に僅かな隙間のある事を発見。
東条英機という人は、こういう不備を見つけると何かせずにはいられない性分らしく、なにも言わずにあたりにあった板切れを拾い、兵隊の持っていた金槌と釘を取り上げ、自分で板塀の隙間に目板を打ちつけて同行した関係者を驚かせた。
五か所ほど目板を打ち終え、また視察を続けたという。(注3)

東条英機という人物は非常に神経質で、細かいことを気にする人であったと言われているが、
このエピソードもそれを肯定するものであろう。

天皇の協力

工事も終盤にかかると、もとの地形状に土を盛った上に、カモフラージュのため、
植栽を行わなくてはならない。
そのため浄法寺中佐は、宮内省の鈴木工務部長へ他の場所からの植物の
移植の了解を求めた。

必要な植物は防空室上部を覆う松や草の類と、入口付近の通路を覆う枝を
横に延ばした潅木であった。

数日後、吹上御苑の中の「天神の社の後ろのススキ」であるとか「水田の近くの赤松と黒松」
「枝を横に延ばしたサツキ」など、移植用の樹木についての指示が戻ってきた。

指示された場所に行ってみると、そこには目的に適合した樹木があり、
その木や草を兵隊が掘り起こし、工事現場に植栽した。
この、宮内省側から示された移植用の樹木が、実に当を得た選択であることに、
築城本部のスタッフは驚いたという。

この植栽用にと、鈴木工務部長が提示した植物情報を纏めたのは、実は昭和天皇本人だった。
生物学者であり、吹上御苑の植物について知り尽くしている昭和天皇であれば、
目的に叶った植物が指示されていて当然であろう。

築城本部は、このカモフラージュ工事において、最高のアドバイザーを得て作業を行うことが
できたのだった。(注4)

皇居北跳橋から見た吹上

皇居北跳橋から見た吹上。この森の中に防空室がある。

工事進捗図

1)吹上御苑の北部にある地主山を最適地としてその北部山脚を機械掘削した

1)吹上御苑の北部にある地主山を最適地としてその北部山脚を機械掘削した。掘削斜面の角度は60度。排土量は約4000立方メートルであった。

2)地表面から約1.2メートル掘り下げ

2)地表面から約1.2メートル掘り下げ。厚さ20センチのワリグリ地形を設け、その上に1メートルの厚さのべタコンクリート基礎を打設し、その上にさらに50センチのコンクリート床を設けた。床層の打設時に外部・内部隔壁の鉄筋建て込みを行う。

3)隔壁内に用いる鉄筋は、直径20ミリのもので、これを15センチピッチで建て、横方向鉄筋で緊結した

3)隔壁内に用いる鉄筋は、直径20ミリのもので、これを15センチピッチで建て、横方向鉄筋で緊結した。この鉄筋組み立ては設置現場では行わず、宮城外の代官町通りを封鎖して鉄筋組み上げ現場とし、人力で運べるほどの大きさで籠状に組み立ててから設置現場に運び入れた。コンクリートの木製型枠も代官町通りで加工し、工事現場に運んだ。

4)防空室上部の耐弾層は部屋によって構造が違っている

4)防空室上部の耐弾層は部屋によって構造が違っている。御休所・次室・会議室の三室の上部には、1インチの厚さの特殊鋼板を逆皿形に整形したものを、隔壁上部にアンカーボルトで固定し、その上に耐弾層のコンクリートを打設した。天井部製作のため生コンクリートを天井以上の高さに持ち上げる木製のエレベーターが3機構築された。現場の北西約200メートルに置かれた4台のコンクリートミキサーとエレベーターとの間は、複線のトロッコ線路が敷かれ、第一師団の歩兵の人力によって生コンクリートは運ばれた。

5)コンクリート硬化後、工事初頭に掘削した土を復土する

5)コンクリート硬化後、工事初頭に掘削した土を復土する。その積土上に自然林に見えるよう植栽を行う。コンクリートの垂直壁の-部は、地上に露出していた。この露出部にコールタールを塗るなどのカモフラージュ塗装のアイデアがあったが、樹木の植え込みでカモフラージュ効果は十分だったので塗装は実行されなかった。イラストでは壁面や通路を描いたが、実際には上空から壁面や通路は、樹木に遮られ確認できない。


注3)東条陸相に動行した浄法寺中佐は、何が始まったのか事情がつかめず陸相の作業をただ見ていた、と話している。

注4)この天皇の指示について藤井が「最良のアドバイザー」とした原稿を、浄法寺氏に見ていただいたところ、「最高のアドバイザー」と変更してほしいとの電話を頂き、恐縮した。


1 2 3 4 5 6 7

©Hisao Fujii