天皇の防空壕(参謀本部付属会議室)

防空室内部

防空室内部の、各部屋の設備・内装は次の様になっていた。

御休所
この部屋は天皇の居室である。
広さは20m2、北側の次室との間は、木製の扉で仕切られている。
次室との間の壁は耐弾隔壁ではなく、隔壁区画としては、御休所と次室は一体のものと
なっている。

この両室の内装は、壁面は板が貼られ光沢塗装仕上げ、床は板張りの上に
赤色の絨毯が敷き詰められる。
この内装工事は築城本部の仕事ではなく、防空室が宮内省に引き渡された後に、
宮内省出入りの業者によって行われた。

次室の北は廊下になるが、その廊下に出るには、板扉をあけ、すぐ外の30cmの厚さの
防弾扉をあけて出ることになる。

御休所への交通
空襲時、天皇が御休所に避難するには、通常居住している「御文庫」から自動車で、
防空室北側のアプローチ通路の前まで行き、そこから徒歩で中通路へ入る。
そこから北廊下の防弾扉を入り、もう一つ防弾扉を入って次室に至る様に予定されていた。

しかし、この防空室が完成後、「空襲時、天皇が自動車で移動するのは危険」との判断が
出され、御文庫からこの防空室まで約100mの長さの地下通路が掘られた。

この地下通路の掘削工事は、赤羽の工兵連隊が動員されて行われている。
この通路は坑木と板で土止めがされ、床は砂利敷きの臨時的なものであった。

会議室(参謀本部付属会議室)
御休所の東側が会議室である。
会議室は55m2あり、南北に入口がある。
入口は防弾扉と板扉の二重構造となり、内装は御休所と同様である。

この会議室は終戦時、ポツダム宣言受諾を決定した最後の御前会議が行われたところである。

参謀本部付属会議室内部

参謀本部付属会議室内部。天井は1インチの鋼鈑に塗装された。電灯は壁に取り付けられている。

会議室の写真がある。これには多くの情報が盛り込まれている。
写真に写っている天井を見ていただくと、舟底天井の様な形をしているのに気がつかれるで
あろう。

この天井は1インチの厚さの特殊鋼で作られている。
この特殊鋼の天井は会議室の真上に直撃弾を受けた場合、爆発の衝撃で、コンクリート天井に内面剥離を起こさせない目的を持つ。
建造時にまず特殊鋼の天井を置き、その上に直接コンクリートを打設して作られた。
照明電灯は天井ではなく、壁に設けられているが、これは、爆撃による電灯の落下を
警戒したものである。

次に床に注目していただきたい。
床は赤色の絨毯が敷き詰められたが、写真には下地の板床が写っている。
この写真が工事中であるならば当然のことであろうが、どうもそうではない。
写真では絨毯は敷かれていないが、会議室の南出入口の板扉をカバーする緞帳(カーテン)は取付けられている。
常識的な工事プロセスからすれば、床にまで垂れ下がる緞帳は、床の絨毯の敷き込み工事が
終わってから行われるべきである。

この防空室の絨毯について、以前さもありなんと思える話を開いたことがある。
子供のころ藤井は、たびたび当時東洋大学教授であった
故鳥羽正雄樽士宅を訪ね、城郭についての諸々の話を聞いていた。

神官でもあった鳥羽正雄博士は宮内庁の要請で、昭和天皇に城郭の話をするなど宮内庁に
出入りすることがあり、その過程で知った事柄を私に伝えてくれた。
その中にこの防空室の話があった。
戦後すぐ、宮内庁の庁舎内に、仮宮殿を整備しょうとしたが、物資不足で絨毯が入手できず、
防空室の絨毯を流用したのだという。

つまりこの会議室の写真は、戦後絨毯が引き剥がされ、他に流用された後に
撮影されたものなのである。
防空室に使用されていた絨毯は当然のことながら当時の最高級品であった。

厠(水洗便所)
防空室の中には三か所に水洗便所が用意された。
天皇専用のそれは会議室の東のものであり、入口は南廊下にある。

この専用便所を、防空室の工事中に、工事に参加していた兵が使用して問題になったことも
あったという。
南廊下と北廊下との西端にも水洗便所があるが、これは一般の要員のためのものである。

南廊下を見る。厚さ30cmの耐弾扉、突き当たりが厠。

南廊下を見る。厚さ30cmの耐弾扉、突き当たりが厠。

通信室
会議室の東側で、専用水洗便所の北が通信室である。
この通信室と、宮内省・陸軍省・海軍省や防空情報を掌握している東部軍司令部等の重要施設との間には、ホットラインが結ばれていた。

そしてそれらの外部回線と、防空室内の電話端末とを結ぶ自動交換機が設置された。
機密管理のためには手動交換機では問題があり、自動交換機導入が望まれた。
戦前の日本の電話交換機は手動のものが多かったが、関東大震災以降、大都市を中心に
少数の自動交換機が導入されていた。
昭和初期の自動交換機は海外からの輸入によっており、A型と呼ばれたアメリカ製か、
G型と呼ばれたドイツのシーメンス社製のどちらかであった。

そこで、逓信省が中心となって国産の自動交換機の開発を開始した。
この新型自動交換機は逓信省の頭文字をとつて、T型と呼ばれた。
この国産自動交換機は、A型とG型の長所を採り入れ、それに日本独自の工夫(少ない材料で
輸入品と同じ性能の物を作る)をしたものである。(注5)

この日本で開発され、日本電気株式会社で製造された最新式T型自動交換機が、
宮城内防空室の通信室に設置されたのである。

しかし、T型自動交換機はこれ以降、物資不足のため製造が中止され、製造されたのは
ごく少数であった。
防空室に設置されたものはその中の一台である。
このT型自動交換機が設置された通信室には24時間通信兵が配置され、
宮城内の情報センターとなった。

機械室

機械室内部

機械室内部

御休所の西側が機械室である。
機械室には、この防空室内の生活に必要な環境を作り出す設備を設置した。

設置された機械類は、「陸軍科学研究所」の山田櫻技術大佐の指導によっている。
設置された装置は次の機器である。
発電装置・電動ガス濾過装置・自転車型人力ガス濾過装置・冷房装置・飲料及び
水洗便所用水タンクである。

機械室は70m2と、この防空室の中では、一番広い空間を持っており、
多くの機器類を設置したが、まだ余裕があった。

注5)和製自動交換機については、日本情報通信コンサルタント株式会社の元社長牧山武一氏にご教示いただいた。


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