勝連城(グスク)

ユネスコ世界遺産 沖縄「勝連城(グスク)」

沖縄のグスク群が世界遺産に登録された。この世界遺産登録の意義は、かつて琉球には尚王朝が存在し、ひとつの文化圏を形成していたことを後世に伝えることにある。勝連城は、尚王朝が成立する時点の、最後の戦乱の場所であった。

戦闘は、長禄2年(1458)に、首里の尚王朝軍が、この城の按司(あじ・領主のこと)である
阿摩和利(あまわり)を攻撃したもの。

勝連城は、勝連半島の岩山の山頂部を中心に、東側の鞍部を越えて対岸の高地上までを
含んでいる。
鞍部の外曲輪には家臣屋敷が配置されていたようで、古井戸や、造成地が残っている。

これまでの発掘で山頂の主郭には瓦屋根の建物が造られ、副郭には6間×7間の正殿があったことが分かった。
正殿付近から瓦の出土が無いため、正殿は板葺きの屋根が想定されている。

沖縄のグスクは、正殿とその前の前庭をセットにして儀式空間が作られているものが多いが、
勝連城はその典型である。

外曲輪が、主郭がある山頂から下る斜面部分から、鞍部を挟んだ対岸の高地上までを取り込んでいるのは、この城が攻撃されてた場合、攻者が攻撃の足場とする高地を、あらかじめ城側で占領しておき、防禦戦闘を有利に進めるためであろう。
勝連城は、本土の戦国期の城と同様に、軍事理論に則った城造りがなされている。

勝連城の発掘では、交易品と考えられる出土物があり、海洋交易の拠点としても利用されていたことが、解明されている。



(復元画の解説) 勝連城を東方から見たもの。右上が主郭。その下に主殿がある副郭。さらに下が外曲輪。遠方の海は、中城湾。中城湾の対岸は、現在の沖縄市方面となる。地元の伝承では、勝連城の南西の海岸(画の左部分)に交易船が停泊したと伝わっている。(資料提供勝連町、考証・作画/藤井尚夫)

 グスク紹介の大型映像コンテンツ用の勝連城精密模型。

(模型の解説) グスク紹介の大型映像コンテンツ用の勝連城精密模型。 模型を造ったのは、ゴジラ映画の模型などを造っているT社。 この勝連城模型はハイビジョン撮影の後に、 沖縄県立博物館に展示されている。(考証・設計/藤井尚夫)

(沖縄県立博物館「沖縄復帰20周年記念展示」及び、米国ワシントンDC、スミソニアン博物館論文集『THE ARCHAEOLOGY OF CITY-STATES』に掲載より抜粋、加筆。資料提供/勝連町・沖縄県立博物館)

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