『築城記』だった

しばらく前に、城門について調べ回っていたことがある。
実際に城門が建っている場所に出かけて、採寸し、図化するのである。
標準的な城門として、江戸城の清水門を取り上げた。
清水門は江戸城の北の丸の枡形虎口である。
武道館の南東位置になる。

清水門の枡形虎口

清水門の枡形虎口 外から最初にくぐる門が「高麗門」。 枡形の中に入って、右に曲がり、「櫓門」をくぐる。

枡形の空間

枡形の空間。 清水門あたりは、地面が舗装されていないので、 江戸時代の雰囲気が味わえるところである。

一般に枡形虎口は、外側の一の門を「高麗門」形式に、二の門を「櫓門」にする。
この高麗門を採寸した。
柱間、柱の太さ、貫の高さ幅、屋根を採寸する。

清水門は、武道館がある北の丸公園の通路として利用されているので、
24時間見学が可能であり、寸法を測るには便利な場所である。
この門は、明暦の大火(振袖の大火事・1657)以後に、整備されたとされている。

後方から見た高麗門

後方から見た高麗門

現地で描いた採寸メモを持ち帰り、図化する。
高麗門とは、簡易な平門で、左右の二本の門柱(主柱)とその後方の控柱の4本の柱を
貫でつなぎ、屋根を架けたものである。
それほど多くの寸法を取らなくともよい。

採寸ミスか

持ち帰ったメモに従い、机上で柱の中心軸をそれぞれ配置する。
しかし、図がうまく 収まらない。
風化した柱を採寸しているのだから、1~2cmの採寸誤差がでてもやむ終えない。
だが、誤差は数十cmも出て、柱の軸線は長方形の平面に収まらず、
平面は台形になってしまう。

どこかで、大きな採寸ミスをしたのか?

現場の状況を思い出しながら考えた。
思い出す中では、ミスを再現できない。
しばらくは、台形の平面を見ながら悩んでいた。
で、はた、と思い出した。
『築城記』だ!

戦国期、越前朝倉氏の城造り技術者窪田三郎兵偉尉が記したとされる
『築城記』という本である。

この『築城記』の中に城門の作り方が述べられている。
「城門の内の柱(控柱)は広がるように建てること」
こう書かれていたのを思い出したのである。
この『築城記』の文章を、始めて読んだ時は、何を言っているのかよく分からなかった。

しかし、机上の清水門の台形の平面を見ながら、これは『築城記』の城門だと思った。

しかしそれは、あくまでも、採寸ミスが無かったら、の話であるが・・・。

図化した高麗門

図化した高麗門

図化した高麗門

再調査

そこで、再度採寸に出かけることにした。
今度は、メジャーだけではなく、分度器も持って出た。

現地に着いてまず、清水門の控柱を一見した。
確かに控柱は内に開いているのである。
やはりそうだった、と思いつつ、分度器で計ると、控柱は主柱から90度ではなく、
95度の方向にある。
控柱は左右で10度開いて建っているのだ。

台形の平面を持つ高麗門

台形の平面を持つ高麗門。 図面にすると、一目瞭然だが、 実際に建っている現場では、この台形の平面を想像できない。

藤井は、これまで江戸城の城門は何十回とくぐっている。
しかし、10度も柱が開いていると知ったのは、自分で図面を描いたからである。
自分で図化していなければ、4本の柱は台形ではなく、長方形の平面で建っていると
信じていただろう。

“視点を変えて見る”これは大切である。

目的は?

さて、なぜ城の高麗門は、長方形の平面ではなく、控柱を開いて、台形の平面にしたのだろう。
『築城記』には解説が無い。
正確に言えば、目的は不明だ。

高麗門形式の門は、社寺にも利用される。
しかし、社寺の高麗門の控柱は開かず、長方形の平面を持つ。

台形の平面を持つ高麗門は「城門」にのみ見られるのである。
柱と貫を90度ではなく、95度で接合するのは、手間がかかる作業であるが、
当然必要だったから行ったのだろう。
通路遮断を目的とした「城門」である。
控柱を開いて建てると、扉が90度以上開く。

こうすると、門扉を開いた状態での接近戦闘では門柱から内側の空間が広がるので、
攻撃者より、迎撃人数が多くなり、戦闘を有利に進められる(せいぜい1名だが・・)。

戦国期城郭から、近世城郭まで共通のテクニックを踏襲しているのは、さらに、
想像を超える迎撃効用が期待できたためかもしれない・・。
戦国期城郭における最近の城門跡発掘例にも、台形平面の門跡がいくつか報告されている。

台形の平面の目的は何か

台形の平面の目的は何か

しかし、戦国時代の築城ノウハウが、江戸時代の「明暦の大火」以後に整備された城門にも、
踏襲されていたのは驚きである。
「近世城郭」は、中世戦乱過程の試行錯誤の結果出来上がった「築城様式」であることを、
改めて知ることになった。

(清水門の櫓門、高麗門、塀は、05年の2月から修理工事が行われている)

©Hisao Fujii