松くい虫

ネット上で募集したツアー「瀬戸内に戦国から昭和の海戦遺跡を見る」にご参加の皆様と
宮尾城を見た。
実は藤井は15年ぶりの宮尾城だった。

宮島口からフェリーで厳島に渡る

宮島口からフェリーで厳島に渡る。 一見太古から変わらない厳島の山々に見えるが、 松の多くが“松くい虫”の被害にあっている。 写真は、海上の大鳥居と弥山。 海岸左の大きな屋根が見える丘が「塔の岡」、 厳島合戦時点の陶軍の本陣。

対岸から見る厳島は15年前と変わらなく見えるが、上陸して周囲の山を見上げると、
葉の落ちた枯松が目立つ。
松くい虫の被害である。

関東、関西など、本土での松くい虫の被害が目立ったのは10年ほど前で、枯松はほぼ倒壊し、山には枯れたままの松が立つ姿はあまり見られないが、海に囲まれた厳島では、松くい虫の被害は、遅れて発生したのか、現時点でまだ多くの立ち枯れの松が見られる。
さらに、山に入るとすでに倒壊した松も多く、道がふさがれ歩きにくい。

中国地方の山は、ほとんど花崗岩の風化したザラザラな粘りの無い土で覆われている。
土は掘りやすいので、城の堀を造るには、農具で間に合うが、土塁を盛るには崩れやすく
難儀な土である。
宮尾城は、この様な土地に造られているのである。

今回城内を歩くと、多くの松が枯れ、植生が変わっているのに気付く。
主郭の虎口があったあたりは、地山(表土の下の人の手が入らない地層)が、
むき出しになっている部分が多く、雑草さえも少ない。

15年前の風景

15年前の風景

今回のツアー風景(15年前と同じ位置)

今回のツアー風景(15年前と同じ位置)。 現在、松のほとんどが枯れ、土が崩れて石垣が埋まりつつある

15年前は、石垣で固められた虎口と分かる程度の石垣と、土塁が見られたが、
今回見ると土塁は崩れてなくなり、かつての登城路は倒木で塞がれ通行できない。

また風化土が石垣を埋めている。
これは、一斉に松が枯れ根ごと倒壊し、付近一帯の土地が雨で洗われたためである。
また、04年の台風被害も加わったのだろう。

厳島神社での、台風被害の修復。 高潮で被害を受けた部分が修理されているが、白木のままで、 まだ朱色が塗られていない。 後方の五重塔は足場が架けられ、修理中である。

戦国の城は、日々少しずつ風化してゆくが、宮尾城は今回、松くい虫と台風で、
急激な変化を体験したことになる。
15年間をおいた定点観測が、松くい虫の怖さを教えてくれた。
松くい虫は、植生被害だけではなく、歴史遺構も蝕んでいるのだ。

宮尾城の主郭虎口の想定復元

宮尾城の主郭虎口の想定復元

15年以前の状況

15年以前の状況

今回のツアー時点の状況 

今回のツアー時点の状況。  登城路の石垣が崩れ、ほとんど登城路が消滅している。 また海側の土塁が消えた。

宮尾城の水門

藤井は15年前、宮尾城で面白いものを見つけていた。
古代の山城に見られる“水門”である。
戦国の城に古代の遺構があるのはいささか変だが、古代から開けていた瀬戸内地方には
なにがあっても不思議ではない。

古代山城の塁壁と水門の模式図

古代山城の塁壁と水門の模式図。 古代の山城は、谷を包み込む形で塁壁を巡らす。 谷の水を塁壁の下を通過させる暗渠を設け、これを“水門”と呼ぶ。

古代の山城の水門とは、城内の谷川の流れを、城外に出すため、石で造った暗渠のことである。
宮尾城の南部には、空堀と切岸風の塁壁が見られるが、切岸塁壁の一部は古代の塁壁に似た部分もある。
千数百年前の風化した山城を、戦国時代に造り変えたときに、古代の塁壁は半ば壊され
谷の水門のみが残されたものかもしれない。

しかし古代の城としての範囲や、当時の土塁が明確ではないので、“古代の城”と断言できない。

水門遺構を見る

水門遺構を見る。 左右には石垣石が幾つか見られ、ここだけを見ると、 正に“古代山城”の一部である。 横に立つのは、ツアー参加の瀬戸川さん。

幸い今回のツアーに、古代の山城を研究されている、瀬戸川睦人さんが参加されていたので
ご案内した。
「明言は難しいが、瀬戸内の古代の航路から考えて、厳島に中継拠点としての“城”があっても
おかしくはない」とのお話。
水門についても「他の古代山城の水門と技術的共通点」が見られるとのこと。

これが古代の山城であれば、古代瀬戸内海史に新たな情報を提供することになる。
今後の調査が楽しみな遺構である。

宮尾城平面図

宮尾城平面図 三つの丘を纏めて海岸線も城内にした水軍の根拠地としての城。 水門遺構は、北の丘の海側にある。

©Hisao Fujii