村木合戦

天文23年(1554) 織田信長 対 今川軍(松平甚太郎)

信長が天文23年に戦ったこの村木合戦は、信長の実質的なデビュー戦である。
信長はこのデビュー戦に勝利している。

村木合戦の直接の原因は、今川軍の緒川城攻略行動である。
今川軍は、信長と同盟関係にあり、知多半島の緒川に本拠を持つ水野忠政を攻めた。
水野忠政は直ちに信長に後詰を要請した。
信長に後詰能力がなければ、水野氏はこの時点で今川軍に攻め滅ぼされるか、
信長を裏切り今川に付くしかない。

水野忠政からの後詰要請に対し、信長は動かせる兵のほとんどを率いて
後詰に向かったのであり、その結果が、今川軍が緒川城攻めの足場にしていた村木城での
決戦となったのである。

この合戦の注目点の一つが海上交通である。
今川軍は緒川城を攻めるにあたり、知多湾を船で渡って村木に上陸している。

一方の信長も伊勢湾を海上移動している。
信長の本城である那古野城と、水野氏の緒川城との間は、今川軍に占領されているため陸路での後詰ができず、信長は熱田から船で移動し、知多半島の西海岸に上陸し、緒川城に向かったのである。

この村木合戦は、城攻め(緒川城攻め)に始まり、後詰軍(信長軍)の到来で決戦が勃発する
“後詰決戦”のセオリーで終始している。

その後、信長が行う合戦の多くが、この“後詰決戦”のセオリーを機軸に動く。

画は、村木城(砦)を北西から見たもの

画は、村木城(砦)を北西から見たもの。

(新人物往来社『歴史読本スペシャル42』に掲載より抜粋、加筆)

©Hisao Fujii