今帰仁城

今帰仁城(なきじんグスク)

沖縄本島北部の本部(もとぶ)半島の北東部標高90~100m前後
古世紀石灰岩の上に築かれた城である。
この城は沖縄の三山時代といわれた頃、北山王の都城(北山城ともいう)であった。
従って城の歴史は古い。

今帰仁城の石垣

今帰仁城の石垣

今帰仁城址の石垣

今帰仁城址の石垣

城は主郭を中心に大小9つの曲輪に分かれる。
西に大手を置き、東側がしだいに高くなり、「二の曲輪」から「北殿」、その左右に大庭(うみやあ)・御内原(おうちばる)、そして最高所の一の曲輪に達し、その東側を志慶間門の曲輪といい、そこに志慶間門がある。
城壁の石垣は、古生期石灰岩の岩塊を平積みにして、その総延長は1.5Kmになる。

近年整備された石垣

近年整備された石垣

築城の年代は明らかではないが、今帰仁城の変遷は大方第一期から第四期に分かれる。

第一期は、13世紀の終わりから14世紀の初めにかけて城が創建される時期で、
石垣がまだ無く木の柵で城壁とし、規模も大きくなかった。

第二期は高い石垣が築かれ、14世紀前半から中頃までで、
この時期に、石積みの基壇の上に四間×五間の舎殿が建てられた。

正殿跡

正殿跡

住居跡

住居跡

第三期は、「明実録」や「中山世鑑」などから1383年(弘和3年)怕尼芝等、
三王が城主の頃で、大明国に進貢し、貿易を行い今帰仁城が最も栄えた時代である。

14世紀の後半からはじまった第三期は1416年尚巴志に滅ぼされて終わり、
第四期は、監守時代に入り、1665年、最後の監守が首里へ引き上げるまでの
243年間である。

(今帰仁城はユネスコの世界遺産となっている。)

遠方に伊江島をのぞむ

遠方に伊江島をのぞむ

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