狭間について

中城(なかグスク)と安慶名城には石塁の中に狭間が作られている。
安慶名城の狭間は一箇所のみで、北方の台地続きの接近経路を射界に入れている。

中城のものは、南西方向の尾根続きに向かって三箇所並んでいる。
その狭間は縦長に切られており、本土の矢狭間に近い形態である。
狭間が切られた石塁に幅があるので、狭間は外に狭く、内に広い形ではあるが、
左右の射界はあまり大きく取ってはいない。

この三つ並んだ狭間は、中城の弱点である尾根続きの防禦用だが、この少数の狭間の限られた射界では死角ができ、鉄砲や弓での迎撃効果は低いであろう。

しかし、この狭間を鉄砲や弓を想定したものではなく、ハンドキャノン(手砲)用であり、首里城や里遺跡(渡名喜島:となきじま)から石弾と考えられる球形の石が出土していることからして、多く使用されていたと考えられる。

ハンドキャノンのいくつかは祭具として伝来しており、グスク時代に大陸で使用されていた
武器が導入されたのだろう。

狭間からハンドキャノンで散弾を発射すると考えると、限られた場所に少数設置されていることにも納得できる。

ハンドキャノンとは、青銅製の小型の砲で、中国から中近東で多く用いられた武器である。一人で使い、命中精度は良くないが、テニスボール大の石弾や、サクランボ大の砂利の散弾を発射する。

©Hisao Fujii