中城

中城(なかグスク)

15世紀中頃、読谷山(よみたんさん)按司(あじ:在地領主のこと)の護佐丸(ござまる)が、勝連(かつれん)半島の勝連城にいた阿麻和利(あまわり)に対して、座喜味城(ざきみグスク)から移って造った城である。

中城・北方より見る

中城・北方より見る

当時の琉球は、沖縄本島南部の佐敷から興った第一尚氏によって国家統一が行われていく過程にあり、その最終段階でこの城が果たした役割は大きいものがあった。

しかし、尚王朝六代目の尚泰久にとって首里城から12Kmの所に琉球最大の実力者の護佐丸がいてはやりにくいものがあり、そこで尚泰久は娘婿の阿麻和利と共に中城を攻め護佐丸を滅ぼした。

護佐丸の滅亡後、この城がどのように使われたかは定かではないが、第二尚氏になると中城の領地が王の直轄地とされていたので、この城は王子の居城であったとする説もある。

この城は六つの郭からなり、東方の海岸線を望むところは断崖に面しており、
自然の要害となっている。

南西の首里側に面したところが大手口である。
この虎口は側防用の横矢掛かりがあり、左右の城壁石垣上からの狙撃が可能である。

城内には井戸曲輪もあり、南端には、久高島や首里への遥拝所、雨乞いの御嶽などがある。
又、首里への遥拝所のすぐ後ろの城壁には三ケ所の狭間が用意され、
ここから尾根上の大手への道筋が狙えるようになっている。

主郭はこの城で最も高い位置にあり、曲輪の東よりに基壇が設けられ主殿は
この上に建っていた。

(中城はユネスコの世界遺産となっている。)

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