具志川城【本島】

具志川城【本島】(ぐしかわグスク)

具志川城(ぐしかわグスク)の正確な歴史は不明である。
(伝承では、久米島(くめじま)具志川城主の真金声(まかねくい)按司が伊敷索(いしきなわ)按司の二男真仁古樽(まにくたる)久米島を追われ、沖縄本島に作った城がこの具志川城だと伝わる。)

具志川城復元図

具志川城復元図

具志川城は、海に突き出した半島状の断崖の上を占め、周囲に石垣を積んだ小さなものである。
遺構は長辺で約80mの小規模なものであるが、北方の陸続き側の石垣は、高さが5mもあり、塁壁の規模としては他の大規模なグスクと比べて遜色のない本格的規模の城壁である。

虎口(こぐち:出入口)付近の石垣は長方形に成形された比較的大きな切石で積まれ、
しっかりした門構えが想定できる。

一方、海側の断崖上の石垣は防禦よりも、風避けとしての意味が大きい。

この小規模な具志川城の縄張は、多重塁線を持たない単郭式である。
その曲輪(城の防禦区画)の中央付近に基壇と考えられる石積みがあり、この石積みから
小規模ながら儀式用の舎殿建築が立てられていたと推測でき、グスクの存在目的を語っている。

琉球がまだ統一政権下になかった時代には、各地の按司(在地領主)はそれぞれ独自の
流通ルートを持ち海洋貿易を行っており、この具志川城は地表からも中国製の陶、磁器の破片が出土している事から、ここも海洋貿易拠点の一つであったと考えられる。

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