如意ヶ岳の陣城

如意ヶ岳の陣城(京都を見下ろす軍団の陣地) 京都府左京区

京都と南近江を結ぶルートのひとつ、鹿ヶ谷と大津の皇子山を結ぶルートを「如意越え」と呼び、その道は如意ヶ岳山頂を通過する。
京都は源平の時代から関ヶ原合戦まで戦乱あるごとに、大軍の集結・移動が繰り返された。

京都から東方にぬけるこのルートも、比叡山の南を通過する「白鳥越え」「山中越え」と並び
重要な幹線であった。

如意ヶ岳の陣城遺構は、山頂の北側緩斜面を総延長1kmにわたり、街道を取り込み空堀と
土塁で三つの部分に囲んだものである。
大津から登った如意越え道は、この陣城で、“峰道”(大文字へ)と、南の鹿ヶ谷を通過する
“谷道”に分かれる。

足利幕府十二代将軍義晴や、細川晴元、佐々木定頼などの名が記された、この陣城のものと
思われる記録がある。

しかしこのルートの性格を考えると、ここに陣城を必要としている人物は、
彼らだけではないだろう。
時代が下ってからも街道を城内に取り込んで封鎖し、一定期間かなりの兵力を駐屯させておける力を持った人物は、何人か候補を上げられる。

戦略単位の兵団を動かせる戦国大名が軍事行動を起こす場合、そのキャンプ地には、
この様な施設を残すことがある。
特に敵地に隣接した地域では、ほとんど臨時に陣城が造られている。

陣城遺構を東方から見たもの

画は、陣城遺構を東方から見たもの。土塁で囲まれた内部に設けられた段は、塁壁ではなく、駐屯の兵が仮小屋を建てるための造成地である。如意ヶ岳の山頂からは、京都盆地を俯瞰でき、南方は山崎方面まで視界に収められる。(資料提供/上山春平氏)


 
(新人物往来社『歴史読本』昭和63年8月に掲載より抜粋、加筆)

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