信長以前の西三河争奪戦

信長以前の西三河争奪戦(織田信秀の戦い) 愛知県三河平野一帯

織田信長が活躍する以前の西三河は、織田信秀と、今川軍に後押しされた松平一族との
争奪戦が行われていた。

織田信秀は天文9年(1540)に西三河の要地、安祥(安城)城を攻略する。
その後、安祥城を足場に矢作川を越え、岡崎付近まで侵攻する。

天文16年に信秀の子信長は、安祥城の南約10kmの大浜で初陣を行った。
当時14歳の信長の初陣に西三河が選ばれたのは、信秀が西三河のほとんどを安定的に
押さえていたことを示している。

織田信秀の西三河侵攻

織田信秀の西三河侵攻

この状況に対し、天文16年頃から今川軍は松平氏に対する本格的支援を開始した。

天文18年に今川軍は安祥城を奪回し、織田軍を追う。
そして今川軍の安祥城攻略の3年後に、織田信秀は突然病死する。
信秀の死は、西三河の今川化現象を加速させ、尾張の笠寺までが今川軍の押さえるところとなった。

今川軍はこの追い風に乗り、知多半島の掌握に乗り出し、天文23年に水野氏を攻めるため
村木に橋頭堡を求める。
ここに今川軍と、織田信長の戦闘が開始されるのである。

今川軍の西三河侵攻

今川軍の西三河侵攻

(新人物往来社『歴史読本スペシャル42』に掲載より抜粋、加筆)

©Hisao Fujii