海上の戦闘(瀬戸内の例)

軍船の構造と運用

瀬戸内海には、源平の時代から海上で戦う伝統がある。
戦国期には何度も大がかりな海上決戦があったが、戦国期に海上戦闘で使用された軍船に
ついて知らなくては海上戦闘を理解できない。
伝わった資料を解析すると以下のように理解できる。

軍船は簡単に分類すると三種になる。
最も大型のものを「安宅」。
中型のものを「関船」。
小型のものを「小早」と呼ぶ。

一般に安宅は大型で、艦隊の指揮官が乗る軍船であり、艦隊は、安宅を中心にして隊形を作る。
関船はそもそも、海上の関所を運用するために開発されたとされ、艦隊の“主戦力”である。
小早は、連絡や偵察など補助的な支援の船と理解されている。
これらの軍船は、帆と、櫓(ろ)を持ち、平時の移動には帆を用い、戦闘時には櫓で航行する。

戦国中期までは、櫓を漕ぐ水夫は防禦されていなかったが、戦国末期の軍船は、板や竹で、
矢や鉄砲から水夫を守る仕様になっている。

古文書では「囲い舟」と記された軍船が見られるが、防禦空間(矢倉)を臨時に作る舟もあった。
水夫を囲む部分を「矢倉」と呼び、上面に甲板を張る。
その甲板の板を「矢倉板」と呼ぶ。
小早には矢倉が設置されていないものや、矢倉板の無いものもある。

手前が小早、大きいものが関船

手前が小早、大きいものが関船

上原船

ここでは、主戦力である関船について述べよう。
関船の資料としては、八王子市の松信院に伝わる模型や、平戸藩の軍船模型、高松市の上原家に伝わる模型(以後、上原船と称する)がある。

上原船は、高松藩の水軍が用いた軍事教材であり信頼できる構造を持っている。以後上原船について解説する。

上原船は20分の1で出来ており、実際の大きさは全長18.4m、幅6.4mである。
櫓(ろ)は、26丁櫓となる。船体は伊勢型であり、前方が箱型である。
伊勢型の船体は安宅専用との、常識のようなものがあるが、関船にも利用されたことがわかる。

帆柱は船体のほぼ中央に位置し、矢倉の上には構造物は無い。
矢倉を囲む防弾板(垣楯)は間に空間を持った二重になり、防弾効果を上げている。
この防弾板は平時には抜き取れる構造となり、二重の板と、上の矢倉板を取りさると、
矢倉は枠のみの構造となる。

武装

帆柱は戦闘中は下ろし、矢倉上に寝かせ固定する。
武器は鉄砲を主としたと考えられる。
矢倉内では天井が低く弓の利用は難しい。
鉄砲狭間が前方に一箇所、両舷に三箇所づつある。
矢倉の側面板の内側では水夫が櫓を漕いでいるので、鉄砲兵は、狭間位置の水夫に
一時退避してもらい、射撃することになる。
矢倉上は甲板であり、戦闘行動は可能であるが、防弾板はない。

この関船には大砲が積まれた可能性がある。
矢倉の左右防弾板には、出入り口の引き戸がある。
上原船はこの引き戸を開閉できるつくりになり構造を観察できる。
この引き戸は、右舷は帆柱の前方に、左舷は帆柱の後方に位置する。
左右位置をずらしているのは、単なる出入り口ではなく、戸の内側に纏まった空間が
必要だったためと推測でき、大砲を収めた可能性が見えてくる。

この船は、体当たり攻撃を想定している。

この船は、体当たり攻撃を想定している。

体当たり

上原船は体当たり攻撃を行う構造を持っている。
箱型の船首に、「衝角」とも言える鉄のバンバーがある。

和船は、構造上体当たり攻撃は出来ない、と言われるが、戦闘時に接舷し乗り込み
攻撃を行うのであれば、どの様な態勢であれ、体当たりになる。
接舷攻撃をする以上、対策は必要であろう。

上原船は、船首を鉄で強化しただけではなく、船体の前方部は補強板が追加され、
また板の剥ぎ合わせ部分が分離しないように補強在が入る。

構造的に興味深いのは、船首に衝撃が加わると、その力は、剥ぎ合わせで出来た船体に
加わる以前に、まず矢倉で力を吸収するところである。

船首を敵船にぶつけると、船体がぶつかるのではなく、矢倉がぶつかる構造なのである。
矢倉にぶつかる力は間接的に船体にも及ぶが、矢倉が破壊される以前に、船体は崩壊しない
仕組みである。

船首が低い位置にある伊勢型の船体は、水推(みおし)式の船体より、
体当たり攻撃に向いた構造である。

関船の戦闘準備

関船の戦闘準備

指揮

この上原船の舵取りは、当然矢倉内で行う。
舵取り人は、指揮官の命令で動く。
指揮官は、戦況を把握し艦隊情報を得なければならない。

このため、周囲を観察できる矢倉上に居なければならないが、矢倉上では船内の状況が
掴めない。

そこで指揮官は、帆柱の後方に矢倉板(甲板)を一部下げ、腰から上が矢倉上に
露出する位置に立つ。
この位置は、戦況を把握し、船内を観察、指示が可能な場所である。
この指揮所で、約50名の部下を動かすのである。

指揮所は船外船内の状況を把握できる位置にある

指揮所は船外船内の状況を把握できる位置にある

戦国期に、この様な構造を持った関船を
多数そろえて艦隊が構成され、海戦が行われた。
軍船をここまで進化させるには、多くの海上戦闘があった結果であろう。

(学習研究社『歴史群像』NO、29に掲載より抜粋、加筆)

©Hisao Fujii