フォート・ポイント

幕末期最新の要塞構造 米国カリフォルニア州サンフランシスコ

フォート・ポイントは、米国サンフランシスコ湾の入り口の海峡を押さえる
当時最新の砲台である。

フォート・ポイントは、日本の下関で起こった「馬関戦争」の始まる2年前(1861)に
竣工していた。

現在ゴールデンゲイトブリッジのかかる幅1.5kmの海峡を制圧するため、
126門の砲をこのフォート・ポイントに集中的に配置している。
集中度を高めるため、レンガ造りの3階建てとし、屋上にも砲を配備した。

屋上には内陸に対しても砲が設置され、フォート・ポイントが孤立しても戦い続けられる様に、
陸上戦闘にも備える構造である。

屋上の、砲座以外のスペースには、土を盛り芝が植えられ、打ち込まれた砲弾を跳躍させない
仕様としている。
3階建ての砲台の海に面していない内部は、1階に倉庫、2階に司令部、会議室、幹部居室、
3階には兵員の宿舎があった。

海側の螺旋階段上には、鉄骨で組まれた海峡の南岸を示す灯台も設置されていた。

日本では、品川台場を造っていた段階で、米国では、この様な砲台が完成しており、
備砲は日米同じレベルのものが用いられたが、砲台の構造に両国は、大きな開きがあることがが分かる。

また砲身は、日本は青銅製であったが、米国は鋳鉄製であり、コスト的には鋳鉄が安価で、
大量配備にすぐれていた。

この段階の日本では、反射炉が実用化されておらず、鋳鉄砲は大量生産できなかった。
強度的には、青銅砲が勝っており砲としては、青銅砲が高級品ではあった。

第二次大戦中にフォート・ポイントの屋上には、日本海軍の潜水艦を警戒して、
探照灯と小型砲を配備していた。

フォート・ポイントの断面鳥瞰図

フォート・ポイントの断面鳥瞰図。 サンフランシスコ湾内から太平洋側を見る。かつてこの地は、メキシコ軍の砲台が置かれた場所であった。サンフランシスコが米国のものになってから、メキシコ軍の砲台跡を改修し、フォート・ポイントは造られた。ゴールデンゲイトブリッジの建設時点には、砲台の機能は無くなり、建設作業員の宿舎として利用された。現在は、史跡展示館として活用されている。

フォート・ポイントの現状内部

フォート・ポイントの現状内部。 右の窓が、大砲を突き出した大砲狭間。大砲狭間には鉄製の扉がついている。レンガの防禦壁構造は、砲撃された場合、表面が穴状に崩れるが、レンガが打撃を吸収するので、建物の崩壊は免れる。

米国の端軸要塞砲

米国の端軸要塞砲 長州をはじめ、日本の多くの砲台でこのタイプの砲架が使われた。

(新人物往来社『別冊歴史読本』89年10月に掲載より抜粋、加筆)

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